2014年のソチオリンピックでスキーハーフパイプの銅メダルを獲得した小野塚彩那さん。
当時は新種目だったスキーハーフパイプでのメダリスト誕生には、日本中が驚き、多くの人が感動しましたよね。
2019年にはハーフパイプ競技を引退して、新し挑戦を始めたようです。
そんな小野塚彩那さんの経歴や大手スポンサー、元スキー選手だった両親についても調べてみました。
この記事のもくじ
小野塚彩那のプロフィール
名前読み:おのづか あやな
生年月日:1988年3月23日
出身地:新潟県南魚沼市
職業:プロスキーヤー
種目:フリーライドスキー
出典:Instagram
小野塚彩那のスキー経歴
小野塚彩那さんは、歩き始めて間もない2歳の頃からスキーを始めたそうです。
アルペンスキーの全日本学生選手権大会で優勝するなど、学生時代は技術系のスキー選手として活躍していました。
その後、2011年にフリースタイルスキーに転向してからはハーフパイプに専念。
2014年のソチオリンピックでは見事に3位入賞をはたしました。
日本の女子スキー選手のメダル獲得は、モーグルの里谷多英さん以来2人目の快挙だったんですよね。
2019年のXゲームを最後にハーフパイプ競技を引退しましたが、今後はフリーライドスキーに挑戦していくようです。
小野塚彩那の平昌オリンピックの成績は?
小野塚彩那さんは、2017年のフリースタイルスキー世界選手権で日本人初の金メダルを獲得。
オリンピック2大会連続のメダルも期待されていましたが、平昌オリンピックの結果は5位に終わりました。
平昌オリンピックでは惜しくもメダルには届きませんでしたが、世界で5位は本当に素晴らしい成績ですよね。
小野塚彩那は両親も元スキー選手
小野塚彩那さんは両親も元スキー選手だったらしく、父親がスキージャンプ、母親がアルペンスキーをしていたそうです。
滑りの基礎になっているアルペンスキーは、スキージャンプをしていた父親の指導で始めたようです。
競技を変更しながらスキーのキャリアを積んできた小野塚彩那さんは、ジャンプ(父親)と滑り(母親)が融合したハーフパイプで才能が大きく開花したのでしょうね。
小野塚彩那は後援会で資金集め
小野塚彩那さんがオリンピックを目指し始めた頃は、スキーのハーフパイプは今よりもマイナー競技でした。
マイナー競技だったため、海外遠征などは全て実費。
スキーの仕事以外にも土木関係のアルバイトなどで資金を稼ぎ、格安チケットやルームシェアで遠征の費用をおさえていたそうです。
スポーツは華やかな世界に見えますが、世界レベルの選手でも苦労をされていたんですね。
やがて自分が必要な費用の確保に限界を感じた小野塚彩那さんは、知人に頼んで後援会を設立。
資金援助によってワールドカップを転戦して成績を残した結果、全日本スキー連盟から最高ランクの強化指定を受けました。
苦労と行動力の甲斐が実って、オリンピックへは万全の体制でのぞめたようですね。
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小野塚彩那のスポンサーがすごい
小野塚彩那さんは、アトミックやフェニックスなど、スキー経験者なら名前を聞いたことがある有名なスキー関連ブランドとスポンサー契約をしてきました。
他にも数多くのスポンサーからサポートを受けていますが、自動車メーカーの「Jeep」からもサポートされているようです。
小野塚彩那さんは、こんなに格好良いJeepの車が似合うほどのオーラがありますよね。
出典:Instagram
小野塚彩那はXゲームで大活躍
世界的な人気をほこるウインターXゲームはJeepがスポンサーになっていて、スキーの女子ハーフパイプでは毎年8人の招待選手しか出場できない大会です。
小野塚彩那さんは国の代表として出場するオリンピックもすごい大会と位置づけしたうえで、個人として世界の代表8人に選ばれることに大きな魅力を感じていたそうです。
オリンピック並みの名誉が与えられると言われるXゲームですが、小野塚彩那さんは2015年から3年連続の銀メダル。
Jeepからのサポートにも納得できる本当にすごい成績ですよね。
まとめ
オリンピックのメダリストという立場だけでなく、世界のスキー業界をリードしていくプロスキーヤーとしても活動している小野塚彩那さん。
競技生活は引退しましたが、これからも日本を代表する女性アスリートしての活躍が楽しみですね。
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