世界最高峰の山であるエベレストに代表される標高8000mを超える山は地球上に14座あります。
これまでに多くの登山家や冒険家たちが、それぞれの山で過酷な登山に挑戦してきました。
1つの山だけでさえ命に関わることもある極限の世界ですが、8000m峰14座をすべて登頂した日本人登山家がいます。
今回はプロ登山家である竹内洋岳さんの経歴や年収と家族、14座登頂の年表についても調べてみました。
竹内洋岳のプロフィール
名前読み:たけうち ひろたか
生年月日:1971年1月8日
出身地:東京都
職業:登山家、立正大学客員教授
所属:株式会社ICI石井スポーツ
出典:Wikipedia(2019年9月現在)
竹内洋岳、高尾山公開取材、無事終了いたしました!
本日は朝の出発地点、道中、そして高尾山頂にてたくさんの方々にお会いでき本当にありがとうございました。本日山頂で皆様と撮った画像を来週にアップさせていただく予定ですので、しばしお待ち下さい。
また、こんな企画やりましょう! pic.twitter.com/DwdxH9SFlG
— 竹内洋岳0319 (@h_takeuchi0319) 2017年3月19日
出典:twitter
竹内洋岳の登山家経歴
竹内洋岳さんは高校と大学で山岳部に所属し国内で登山経験を積みました。
大学在学中の1991年にシシャパンマで初の8000m峰登山を経験(この時は7500m地点まで)。
大学卒業後はICI石井スポーツに入社した竹内洋岳さんは、会社公認で8000m峰を目指すようになりました。
1995年にマカルーで初めて8000m峰の登頂に成功。
1996年にはエベレストとK2に連続登頂すると、それからの登山活動は8000m峰専門になったようです。
きっとこの頃には、絶対にすべての8000m峰を登頂するという決意をしていたのでしょうね。
竹内洋岳はプロ登山家
竹内洋岳さんは2006年にプロ登山家へ転向し、当時の記者会見で14座登頂を宣言。
安定した収入が見込めないプロの登山家として生活をしていくと決めたのは、すごい覚悟ですよね。
きっとメディアに宣言したことで、スポンサー集めや、もう後には引けない状況を自分で作ったとも考えられます。
それから6年後の2012年に竹内洋岳さんはダウラギリの登頂によって、ついに世界で29人目、日本人では初の8000m峰14座登頂を達成しました。
竹内洋岳の8000m峰14座登頂年表
- 1995年5月22日、マカルー(8463m)登頂
- 1996年5月17日、エベレスト(8848m)登頂
- 1996年8月14日、K2(8611m)登頂
- 2001年6月30日、ナンガ・パルバット(8125m)登頂
- 2004年5月28日、アンナプルナ(8091m)登頂
- 2004年7月25日、ガッシャーブルムI峰(8080m)登頂
- 2005年5月7日、シシャパンマ(8027m)登頂
- 2006年5月14日、カンチェンジュンガ(8586m)登頂
- 2007年5月19日、マナスル(8163m)登頂
- 2008年7月8日、ガッシャーブルムII峰(8035m)登頂
- 2008年7月31日、ブロード・ピーク(8047m)登頂
- 2009年5月20日、ローツェ(8516m)登頂
- 2011年9月30日、チョー・オユー(8201m)登頂
- 2012年5月26日、ダウラギリ(8167m)登頂
目標を達成するまでには登頂の失敗や命に関わる事故もあったようですが、17年かけて日本人初の14座登頂は偉大な功績ですね。
竹内洋岳の年収は?
登山家として活動している人のほとんどは、登山ガイドや執筆活動、講演会などで収入を得ているそうです。
海外遠征などの場合は、スポンサーを探して資金提供してもらうことも多いとか。
竹内洋岳さんはメディア出演や著書も出版され、多くの講演会もおこなっています。
他にも株式会社ICI石井スポーツの所属にもなっているので、少なくても同年代の一般社員並みの契約金はもらっているでしょうね。
はっきりした年収などはわかりませんが、生活に困らない程度の年収は十分にあると思われます。
竹内洋岳の家族は?
竹内洋岳さんの家族については、2002年に結婚して2人の子供もいるようです。
家族のためにも常に安全な登山を心がけてはいるそうですが、危険な職業なので奥さんの心配は尽きないかもしれませんね。
それでも日本人で初の記録を持っているのは、子供にとっては自慢のお父さんでしょうね!
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まとめ
8000m峰14座登頂に成功した竹内洋岳さんの新しい目標は、世界中にある自分が登ったことなのない山だそうです。
登山家としての山への挑戦をこれからも楽しみにしています。
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