ソチオリンピックのスノーボード・ハーフパイプで、銅メダルを獲得した平岡卓さん。
当時まだ高校生だった少年が、銀メダリストの平野歩夢さんと共に日本中を驚かせましたよね。
現在は、これまでの獲得賞金を使って最大級のある施設を設立したそうです。
そんな平岡卓さんの経歴や父親と巨大施設を設立した理由についても調べてみました。
この記事のもくじ
平岡卓のプロフィール
名前読み:ひらおか たく
生年月日:1995年10月29日
出身地:奈良県御所市
身長:170cm
体重:60kg
職業:プロスノーボーダー
出典:Wikipedia(2019年6月現在)
出典:Instagram
平岡卓のスノーボード経歴
平岡卓さんは、スキーのモーグル選手だった父親の影響で3歳からスキーを始めたそうです。
スノーボードは小学校1年生の時に始め、国内大会で順調に成績を残し、わずか12歳でプロに昇格。
高校生の頃には、数々の国際大会でメダルを獲得するほどの実力をつけていました。
2015年には、US(全米)オープンでソチオリンピック金メダリストを抑えての初優勝。
日本人のUSオープン優勝は、國母和宏さん(ハーフパイプ)と角野友基さん(スロープスタイル)に次いで3人目でした。
ちなみに平岡卓さんは、同大会で2014年に2位、2016年に3位に入り、USオープン3年連続表彰台という日本人初の偉業も達成しています。
無口でクールなイメージもありますが、国際大会では好成績を残す超一流のスノーボーダーなんですよね。
平岡卓がオリンピックで日本人初の銅メダル
平岡卓さんは、2014年のソチオリンピックで銅メダルを獲得。
中学生だった平野歩夢さん(銀メダル)と共に、高校生ながら日本スノーボード界ではオリンピック史上初のメダル獲得になりました。
中高生コンビの大活躍には、日本中が感動しましたね。
平昌オリンピックでは13位という結果に終わりましたが、これまでの功績は本当に素晴らしいですよね。
平岡卓の父親について
平岡卓さんの父親である平岡賢治さんは、公務員として働いています。
平岡卓さんが子供の頃には、冬は岐阜県のスキー場、夏は愛媛の室内スキー場へ練習に通ってたそうです。
雪道で車の運転は大変だったと思いますが、もともとモーグル選手だった父親なので息子のために協力的だったようですね。
これまで平岡卓さんがしてきた活躍の影には、父親の影響や助けががあったのがわかりますよね。
平岡卓が賞金でスケートボードパークを設立
平岡卓さんは、2016年に地元の奈良県御所市に「御所スケートボードパーク(GSP)」をオープンしました。
「御所スケートボードパーク(GSP)」は、なんと西日本最大級の公営スケートボードパークだそうです。
公営ということなので、御所市で公務員として働く父親のサポートがあったのかもしれませんね。
平岡卓がスケートボードパークを作った理由
昔からスケートボードをする為に、他県の施設まで通うこともあったという平岡卓さん。
子供の頃から、地元にスケートボードパークがあれば良かったという思いがあり、設立を決めたようです。
資金は、これまでの大会などで獲得して貯めておいた賞金を使いました。
東京オリンピックで正式種目に決定したスケートボードは、欧米に比べて練習施設が極端に少ないのが日本の現状。
現在の平岡卓さんは、「奈良県からオリンピック選手が出てくれたら嬉しい」とも語っていたので、きっと次の世代へ新しい夢をつなぐ挑戦を始めたんですね。
☟東京五輪でメダルが期待されるスケーターについてはコチラ
まとめ
見た目の派手さや話し方の影響もある為か、時にはあまり良いイメージを持たれないこともあるスノーボード。
平岡卓さんは、自分の思いを形にした結果がスケートボードパーク設立だったと思います。
高校生で五輪メダリストになれば、天狗にもなりそうですが、将来も見据えるしっかりとした青年ですよね。
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