スノーボード・アルペン競技のオリンピックメダリストで、美人アスリートの竹内智香さん。
平昌オリンピックでは、2大会連続のメダル獲得に期待が高まりましたよね。
結果は5位入賞に終わりましたが、本人は満足のいく滑りができたようです。
そんな竹内智香さんの引退宣言や過去の大怪我、20年以上も履き続けているブーツの秘密についても調べてみました。
この記事のもくじ
竹内智香のプロフィール
名前読み:たけうち ともか
生年月日:1983年12月21日
出身地:北海道旭川市
身長:165cm
体重:62kg
競技:スノーボード・アルペン
出典:Wikipedia(2019年6月現在)
分野は違うけど
私が初めて
スノーボードを自分の手で作った時
一つのモノを作り上げる難しさを
痛感しました。UnderArmourは
世界中の沢山の人達が魅力を感じて
愛用しているブランド。今回のシューズは
そんな、
歴史がたっくさん詰まった
貴重な1足。#UAForge96#WEWILL#アンダーアーマー pic.twitter.com/VhaszMtTTR— 竹内智香 (@blackpearljp) 2018年10月6日
出典:Twitter
竹内智香のスノボ経歴
竹内智香さんは、長野オリンピックがきっかけで、本格的にスノーボード競技を始めたそうです。
高校は、北海道でも珍しいスノーボード部がある上川高等学校に進学。
在学中に、指導者の転勤に合わせてクラーク記念国際高校に転校しました。
まだ高校生だった2002年のソルトレイク五輪から平昌五輪まで、5大会連続でオリンピックに出場しています。
スノーボードのアルペン選手にとって、竹内智香さんはレジェンドのような存在でしょうね。
竹内智香はトライリンガル
竹内智香さんは、23歳から28歳までの5年間はスイスを拠点に活動。
スイスナショナルチームと共にトレーニングに励み、世界トップクラスの技術を身につけました。
10代の頃から世界中の大会を転戦してきた竹内智香さんは、英語とドイツ語を話せるそうです。
日本語を含めると、3ヶ国語を話せるトライリンガルなんですね。
中でもドイツ語は、スイスの公用語でもあるので、ネイティブ並みに話す事ができるとか。
語学のセンスもあったと思いますが、ものすごく努力家なんでしょうね。
竹内智香は『初代ひろしま観光大使』
2010年に行われたバンクーバー五輪直後のスノーボードは、企業にとってあまりイメージが良くなかったそうです。
そのため、竹内智香さんは10社以上の企業から支援を断られて無所属になりました。
そこで竹内智香さんは、広島で自らイベントを企画して、広島ガスと契約。
なんとか、自分の力だけで所属先を見つける事ができました。
竹内智香さんは広島が大好きらしく、県知事に直訴して『初代ひろしま観光大使』にも任命されたようです。
どのエピソードも簡単にできることではないですが、行動力のある人は本当に尊敬できますよね。
☟五輪で話題になったスノーボーダーについてはコチラ
https://hirohiroblog.com/domu-narita/
竹内智香がオリンピックで銀メダルの快挙
2002年ソルトレイクシティ五輪では22位。
2006年トリノ五輪では9位。
2010年バンクーバー五輪では14位。
過去に出場したオリンピックでは、決してメダルには近い成績とは言えなかった竹内智香さん。
ついに長年の海外遠征での結果が実り、ソチ五輪前年のワールドカップで初優勝。
オリンピック直前のワールドカップでは、3戦連続2位に入る好成績で世界ランクが2位になりました。
調子の良いままで挑んだオリンピック本番でも、見事に銀メダルを獲得。
スノーボード競技では日本人女性初のメダル、アルペン種目では58年ぶりのメダル獲得になりました。
一部のスノーボード関係者の間では、アルペン競技でメダルを獲得することは、ハーフパイプでメダルを獲得するよりも難しいと考えられていたそうです。
もちろん、ハーフパイプでのメダル獲得も歴史的快挙で素晴らしいですが、アルペン競技はそれだけ世界との差があったんですね。
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竹内智香は過去に大怪我をしていた
竹内智香さんは、2016年に左膝前十字靭帯断裂の大怪我をしました。
怪我の直後は、立っていられないような痛さの為に、出場していたレースを棄権。
選手生活の中で初めての怪我でしたが、頑張る糧ができたという気持ちが強かったそうです。
手術後は順調に回復し、半年後には雪上練習に復帰。
それからの状態はとても良いようですが、怪我にも前向きに向き合うメンタルの強さがわかりますよね。
竹内智香が引退宣言
竹内智香さんは、道具に対するこだわりがとても強いそうです。
以前、バラエティ番組に出演した時、ブーツはスイス人からもらったおさがりで20年くらい使用していると明かしました。
竹内智香さんが使用しているブーツは、作る工程で有毒ガスが発生するる素材ため、現在は製造禁止になっているんだとか。
他のブーツでは違和感があり、今のブーツがなくなると滑れなくなるので、ブーツが壊れたら引退するとまで宣言。
スノーボードも自分で開発していて、年間100本近くは作るらしいですが、そのうち満足いくのは2〜3本だけのようです。
引退宣言に関する話はブーツが原因でしたが、道具に対するこだわりが結果に繋がっているのは間違いないでしょうね。
まとめ
竹内智香さんは小学校の卒業文集に、「夢はオリンピック」と書いていたそうです。
子供の頃の夢は達成しましたが、次の夢は自分の開発した板でオリンピックの表彰台を独占することのようです。
今後は選手だけでなく、開発者としての活躍も楽しみですね。
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