スケートボード界のレジェンドとして、多くの輝かしい功績を残してきたトニー・ホークさん。
過去30年以上にわたり業界を引率し、過去には最も年収の高いエクストリームスポーツのアスリートとも呼ばれました。
そんなトニー・ホークさんは選手を引退してから17年後に、代名詞とも言える大技の900(2回転半)に挑戦する動画を公開。
ご自身が選手時代だった頃を知らない息子さんの為に、チャレンジを続ける父親の姿は多くの人が感動したようです。
この記事のもくじ
トニー・ホークのプロフィール
生年月日:1968年5月12日
出身地:アメリカ(カリフォルニア州)
職業:プロスケーター
種目:ハーフパイプ
愛称:バードマン
出典:Instagram
トニー・ホークのスケートボード経歴
トニー・ホークさんは、9歳の頃からスケートボードを始めたそうです。
14歳の時にはハーフパイプ競技で、プロスケーターの世界トップ選手として活躍していました。
愛称である「バードマン」以外にも、「スケートボード界の神」「カリスマ」「レジェンド」など、ホークさんを表す言葉はたくさんあります。
1990年代には、世界最高峰のエクストリームスポーツ大会「Xゲーム」での活躍により、野球やバスケットなどのメジャースポーツ選手並の人気があったようです。
トニー・ホークの年収がすごい
トニー・ホークさんは現役時代よりも、選手を引退してから収入が増えたそうです。
「トニー・ホーク」の名前がついたプレイステーションのゲームが発売され、それが世界的な大ヒットを記録。
他にも、スケートボードブランドやアパレル関係などを合わせて、推定年収が12億円にまでなったとか。
その結果、エクストリームスポーツの世界で最も稼ぐアスリートになりました。
アメリカンドリームを手にしたホークさんは、低所得者が住む地域にスケート・パークを建設するため、これまでに300万ドル(約3億3000万円)以上の寄付をしているようです。
スケートボードを通じて、子供達が貧困生活からを抜け出すチャンスを作りたかったのかもしれないですね。
トニー・ホークは数々の偉業を達成
1983年のデビューから1999年の引退までに、103回出場したプロ大会で73回の優勝と19回の準優勝を記録。
一時期は、「トニー・ホーク以外で誰が2位になるか」を競い合う状態だったことまであったそうです。
ホークさんが圧倒的な強さを持っていたのがわかるエピソードですよね。
そして1999年にトニー・ホークさんは、Xゲームのハーフパイプで史上初の900(2回転半)に成功。
公式の試合では初めての成功だったようですが、何度も失敗して身体を激しく打ちつけながらの挑戦でした。
実は管理人も子供の頃にホークさんの挑戦をテレビで見ていましたが、そこにいる人すべての一体感に感動したのを覚えています。
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トニー・ホークの900
トニー・ホークさんが公式戦で史上初の900を決めたのが31歳の時で、当時の映像もありました。
出典:YouTube
解説者や観客だけでなく、ライバル選手たちまでもがホークさんを応援。
この年に選手を引退しましたが、名実ともにトッププロスケーターであることの集大成にも見えますね。
ちなみに900を超える1080(3回転)は、2012年にトム・シャー(当時12歳)さんが成功させるまでの13年間、誰も成功することが出来ませんでした。
トニー・ホーク『17年後の900』
初めて900を成功してから17年が過ぎた2016年。ホークさんは48歳で再び900に挑戦しました。
出典:YouTube
Xゲームの時と同様に、何度も失敗して身体を激しく打ちつけながらの成功。
最後にハグしていたのは息子のキーガン君ですが、「最初の900はスペンサー(次男)が生まれた年、今回が最後の900だよ。」と言い残し、キーガン(三男)君の肩を抱きながら車に乗って帰路につく姿がとてもカッコイイですよね。
父親として、無事に3兄弟全員に自分の代名詞でもある900を見せることが出来ました。
まとめ
引退した時でさえ、選手としては決して若いとは言えない年齢でありながらの挑戦。そして50歳を目前にしての大技への挑戦。
今でも時間があれば裏庭にあるプールで滑りながら新トリックに挑み、転べばアイシングをしているそうです。
トニー・ホークさんのように挑戦しながら生きてる人の人生は、とても豊かで輝いて見えますよね。
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