ヤマキックスの愛称でスキー業界を引率する山木匡浩さんは、日本を代表するプロスキーヤーです。
これまでに山岳スキーを中心に、世界中で数々の冒険的なスキーをしてきました。
人が足を踏み入れたことの無いような未開の地でスキーをするなんて想像もできない冒険ですよね。
そんな山木匡浩さんの経歴や過去に滑った場所や地域、結婚しているのかについても調べてみました。
山木匡浩のプロフィール
名前読み:やまき ただひろ
愛称:ヤマキックス
生年月日:1975年5月7日
出身地:北海道帯広市
スポンサー:PeakPerformance、テクニカルグループジャパン
山木匡浩のスキー経歴
山木匡浩さんは3歳の時から、お兄さんの影響でスキーを始めました。
自分は誰よりもスキーが上手いと思えたことで、スキーを熱心に続けることができたそうです。
少年時代には、野球、剣道、茶道、デザインなども経験したらしいですが、運動と平行して文化的な趣向にも興味があったのは珍しいかもしれませんね。
中学1年生の時には、初出場したデモンストレーションの大会で3位入賞。
この頃には、将来はスキーのプロとして生活していきたいと思い始めていたとか。
中学3年生の時に豪雪地帯の札幌に転校すると、高校はスキー場に近い学校を選び、スキー漬けの毎日を過ごしていたようですね。
山木匡浩の転機になった旅とは?
スキー業界ではヤマキックスの愛称でも知られていてる山木匡浩さんですが、2000年に自分探しの旅でブラジルへ向かいました。
ブラジルからはアラスカ経由で帰る予定を組んでいたところ、北米最高峰のマッキンリー(現デナリ)を目指していた同じ北海道出身の佐々木大輔さんや児玉毅さんの所属するスキーチームと合流。
「行けるところまで」の予定で始めた未経験の登山と冬キャンプで、見事にデナリの登頂と滑降に成功しました。
日本への帰国のチケットはすでに捨てしまっていたので、デナリから下山後はチケットが安いロサンゼルスまでの旅を始め、ヒッチハイクやカナダのユーコン川をカヌーで下ったりしたそうです。
山木匡浩さんは、アラスカでの経験によって冒険的なスキーをする基盤ができたのかもしれませんね。
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山木匡浩は世界中でスキーと冒険
日本に帰国してからの山木匡浩さんは、毎年のように世界中の雪山に遠征しました。
ロシアでは無人島の山に向うために、漁船をチャーターして上陸。
グリーンランドでは、シーカヤックに乗って40日間のスキー大冒険。
インドのヒマラヤでは、オートバイとスキーを使って標高5500m地点からの滑降に成功。
南米のペルーでは、世界一美しい山とされるアルパマヨに登頂したものの、傾斜がきつくてスキーは断念したこともあったようです。
失敗や成功を繰り返して、常に冒険をしながらのスキーに挑戦しているのは驚きですよね。
山木匡浩の現在は?
山木匡浩さんは、現在でも機会があれば海外遠征やスキーの冒険を続けているようです。
他にもスキーのレッスンやスライド写真を使ったトークショーなどもしていました。
今後も、山木匡浩さんは自分の冒険とスキーの発展のために活動を続けていきそうですね。
山木匡浩は結婚してる?
これまでに何度も世界中で安全とは言えない冒険をしてきた山木匡浩さん。
ご家族は心配な面もあると思いますが、山木匡浩さんの結婚についての詳しい情報はありませんでした。
おそらく忙しい日々を過ごしてきたはずですが、普通の生活ではできない経験は素晴らしい財産になっているでしょうね。
まとめ
スキー業界で愛されているキャラクターだという山木匡浩さんは、これからもスキー業界に欠かせない存在でしょうね。
世界中でスキーをしてきたヤマキックスの旅はこれからも続きそうですね。
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