人類史上初めての旅を成功させた探検界のレジェンドをご存知でしょうか?
関野吉晴さんという方で、多くの探検家や冒険家が憧れと尊敬の念を持っているそうです。
代表的な“グレートジャーニー”と呼ばれる偉大なルートの挑戦は、想像もできないほど過酷な旅だったようですね。
今回は、そんな関野吉晴さんの経歴やプロフィールと職業、家族についても調べてみました。
関野吉晴のプロフィール
関野吉晴の経歴は?
関野吉晴さんは、一橋大学法学部時代に探検部を創設。
1年間の休学を使って、アマゾン川全流域を下りました。
法学部を卒業した後は、探検家に必要な知識を身につけるために、一橋大学社会学部に編入。
ところが、旅先でお世話になる現地住民の役に立てるように、今度は医師を目指し始め、横浜市立大学医学部に入学。
卒業後は外科医になり、病院勤務と南米探検に通う生活を続けるなど、40年以上も探検家として活動してきました。
この類稀な行動力と好奇心が、関野吉晴さんが探検家を続ける原動力になっているでしょうね。
関野吉晴はグレートジャーニー
関野吉晴さんは、“グレートジャーニー”の挑戦に成功したことで、探検界のレジェンドになりました。
グレートジャーニーとは、およそ6万年前にアフリカで誕生した人類が、地球上に拡散していった偉大な人類の経路のことです。
関野吉晴さんは、アマゾンで出会った日本人に似ているという先住民が、アジアから渡ってきたことに興味を持ち、人類とは逆ルートでの旅を決行。
普通は調べて満足すると思いますが、探検家らしい行動ですよね。
南米最南端の島から、アフリカのタンザニアを目指す5万kmのグレートジャーニー。
近代的な道具には頼らず、自らの腕力や脚力、時には動物の力を借りて進み続けました。
そして1993年から10年の歳月をかけて、ついに人類が誰もやりとげたことがない前人未到の旅を成功させ、世界中から注目を集めたそうです。
関野吉晴は日本人のルーツを旅した
2009年には、日本に人類がやってきた海のルートに挑戦。
インドネシアから沖縄県石垣島まで、およそ4700kmの旅に成功しました。
当時58歳だった関野吉晴さんの凄いところは、こだわりが強いことだと思います。
この旅では、古代の人類と同じ自然からの素材や製法を使用しました。
まずは砂鉄を集めて斧を作り、その斧で現地の巨木を切り、手作りの船を作るという作業です。
船の完成だけで合計9ヶ月かかりましたが、そこから船旅がスタート。
コンパスやGPSは持たずに、安全を考慮しながら一時帰国も重ね、合計4年間の旅で石垣島に到着しました。
こういったストイックさが、偉大な旅を成功させる秘訣なのかもしれませんね。
関野吉晴の職業や旅の資金は?
探検家の関野吉晴さんですが、普段の仕事は医者や大学教授をしているそうです。
他には、著書の出版やDVDの制作、人気の紀行バラエティ番組『クレイジージャーニー』にも出演していました。
新しい挑戦をする時には、スポンサーからの収入もあると思うので、旅の資金は十分にあるでしょうね。
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関野吉晴の家族は?
関野吉晴さんの家族については、奥さんと娘さんがいるようです。
旦那さんや父親が探検家というのは、少なからず心配もあるでしょう。
きっと家族の支えがあるからこそ、安全な旅を心がけることができるのかもしれませんね。
まとめ
時には危険なこともあるようですが、いつまでも挑戦を続ける姿には感動しますね。
これからも、グレートジャーニー関野吉晴さんの活躍が楽しみです。
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